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難解でない


しつこくない


無理してない


邪魔にならない


そういうもの



内側に閉じこもってない


生命のリズムを持っている


ピカピカではなくキラキラ


そういうもの



自己満足ではなく


寛容で


慈しみがある



そういうものに出会いたい






高齢社会についてふっと考えた


地獄の思想』(梅原猛著・中公新書・35頁〜)の中に、

老いの苦について書かれた次のくだりがある。

 

・・・・・・・・・・

 

「老い。なんという深い嘆きが老いのなかに含まれていることであろう。

人生は間もなく過ぎてゆく。

子供が成長して一人前になる。

一人前になったとき、すでに老いはひそかにしのびよる。

そして老いは、ひそかに容色や肉体や頭脳の衰えによって、

われわれに告げ知らされる。

若さは去り、あとには、衰退の人生しか残っていない。

若き日は、もはや二度と帰りはしない。

 

歓楽の若き日を送った人は後悔する。

空しく青春がすぎ去り、彼の晩年には、

みじめな人生しか残っていないことを。

勤勉な青春を送った人もまた後悔する。

彼の青春時代があまりに禁欲的であり、

もはや彼には、快楽に耐える力が残っていず、

快楽を味わわずに彼の青春が過ぎてしまったことを。

 

老年がひそかにおとずれるとき、

すべての人は後悔し、すべての人は悲しむ。

 

東洋の伝統的な敬老の精神、

それは深い思いやりに支えられているかにみえる。

老人、それは死の近くにすむみじめな人間である。

 

もしも、人がこのみじめな人間に

うわべだけでも尊敬の態度を示さなかったなら、

老人たちはどうして自己のみじめさに耐えられよう。

 

しかも、そのみじめさは、

いつかは、だれもが体験しなければならぬみじめさなのだ。』

 

・・・・・・・・・・

 

このくだりを読んで、反発する人は、ステキである。

 

このくだりを読んで、

 

「でも、私は、強く生きる」と決心する人は、もっとステキである。

 

さらに、

 

私は全てを受け入れるけれど、

 

「でも、私は、残りの人生を強くしなやかに生ききってやる」と願う人は、

 

もっともっとステキである。

 






         アルゼンチンよ、泣かないで







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